Spot 07

中世須坂の山城

山の地形を最大限に活かして作られた戦いの砦、山城。信濃源氏として知られる井上氏をはじめ、須田氏・高梨氏が勢力を競い合っていた中世に思いをはせてみては。

笠鉾会館ドリームホールA機能分散型総合博物館所要時間:40分

蔵のまち並みにある機能分散型総合博物館のうちの1つです。常駐する学芸員が市内の文化や文化財をご案内します。江戸時代の庶民の暮らしや須坂藩にまつわる資料のほか、須坂市で毎年7月21日から25日に開催される祇園祭の祭屋台と各町の笠鉾11基を保管、展示しています。

須坂市有形民俗文化財にも指定されている笠鉾は、疫病を招く疫神を笠の上部にある依代と呼ばれる飾りに集め、大神輿を守る役割がありました。次第に、各町でその装飾を競い合うようになり、絢爛豪華な意匠が施されるようになったと言われています。
※閉館中 2021年7月にリニューアルオープン予定

車約8分

井上氏城跡B所要時間:100分

信濃源氏として名高い、井上氏の本拠地であり、館跡は西南隅の一部が欠き取られている典型的な中世の館の形式を留めており、山城は本郭をはじめ諸郭・空堀・搦手がよく残されています。
館跡は現在果樹園(ブドウ畑)となっており、その原形はよくとどめています。長野県指定史跡です。
山城は遊歩道が整備され、絶好の遠足コースとして活用されています。長野県史跡。

車約7分

須田古城跡C所要時間:30分

この山城は、鎌倉時代から戦国時代まで、現在の日滝から小山にかけての一帯を支配した、須田氏が築いたものです。須田氏は、平安時代井上地籍に土着した、井上氏の分流です。

本拠の城は、本郷にある大岩城とそのふもと、現在の蓮生寺の辺りと推定されています。したがって、この城は、出城的な役割を果たしたと思われます。
須田氏は、戦国時代の武田・上杉の争いで、上杉方につきました。慶長3年(1598)、上杉氏の会津への国替えに伴い、須田氏がこの地をはなれたとき、この城も廃城になったと考えられます。須坂市指定史跡。

車約13分

大岩城跡D所要時間:5分

中世(鎌倉時代から戦国時代にかけて)は戦乱の時代で、領主の住居(居館)や戦のときに立てこもる山城(やまじろ)、見張りのための小規模な砦(とりで)がたくさんありました。
大岩城は、明覚山の北側の尾根上に築かれていて、山一帯が大きな砦となっています。全長800m、4か所の郭(くるわ)(平らな場所)と6か所の掘り切りがあり、物見台や狼煙(のろし)台もあったと思われます。

大岩城は、豊丘の雨引(あまびき)城、高山村の月生(つきおい)城・馬陰(まかげ)城(城山城)とともに広範囲の城塞(じょうさい)群として須田氏の守りを固めていました。
大岩城からは南に井上城や長野市の春山城も遠く望め、狼煙による連絡が可能です。さらに、北は中野・飯山方面まで望め広範囲の動向を掌握することができたと考えられます。
須田・高梨・井上氏の勢力争いや武田・上杉氏との境界線の攻防・交通の要として、大岩城が重要な役目を果たしました。

中世、大岩城のふもとには、高井野・大岩郷(現在の須坂市の大部分)が広がり、有事以外の日々には、農民としての穏やかな人々の日常の生活がありました。登山道が整備されていないため登山は困難です。ふもとからお楽しみください。須坂市指定史跡。

車約4分

須坂温泉古城荘E所要時間:60分

上杉謙信が疲れを癒したといわれる名湯。戦国時代の古城めぐりにぴったりの温泉です。
須坂温泉は、須坂市大谷町明覚山の北西麓に位置し、古くから温湯が湧出し江戸時代後期から地元で利用されていました。泉温は源泉で25.8℃、pH8.3、泉質は単純温泉(弱アルカリ性低張性低温泉)です。昭和35(1960)年に「須坂温泉」が開業しました。